The Project Gutenberg eBook of 法螺男爵旅土産

This ebook is for the use of anyone anywhere in the United States and most other parts of the world at no cost and with almost no restrictions whatsoever. You may copy it, give it away or re-use it under the terms of the Project Gutenberg License included with this ebook or online at www.gutenberg.org. If you are not located in the United States, you will have to check the laws of the country where you are located before using this eBook.

Title: 法螺男爵旅土産

Author: Kuni Sasaki

Release date: October 16, 2010 [eBook #34084]
Most recently updated: February 24, 2021

Language: Japanese

Credits: Produced by Masaki Shibata

*** START OF THE PROJECT GUTENBERG EBOOK 法螺男爵旅土産 ***

Title: 法螺男爵旅土産 (Horadanshaku tabimiyage)

Author: 佐々木邦 (Sasaki Kuni)

Language: Japanese

Character set encoding: UTF-8

Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka. (This file was produced from images generously made available by Kindai Digital Library)

[Pg 1]

法螺ほら男爵だんしやくたび土產みやげ

佐々木邦譯

暴風ばうふう胡瓜きうりはなし

 拙生せつせいひげ丁年ていねん到逹たうたつ宣言せんげんをする以前まへ、もつとくだいてまをせば、最早もはや子供こどもでもなく、さりとていま大人おとなでもないころ拙生せつせい世界せかい觀光くわんくわう渇望かつばう口癖くちくせのやうにらしてゐた。 ところがてば海路かいろ日和ひよりとやらで、ちゝはセイロンたうへの航海かうかい拙生せつせい隨伴おとも御許可おゆるしになつた。 セイロンたうにはちゝ叔父をぢあたひとが、知事ちじ[Pg 2]として最早もうながことる。

 我等われらはホルランド王室わうしつ國書こくしよ奉戴ほうたいしてアムスターダムにともづないた。 この航海かうかいちゆう一寸ちよつと記載きさい價値ねうちあるのは暴風ばうふうおこつたことである。 それが尋常じんじやうやう暴風ばうふうでなく、我等われら薪水しんすゐ取込とりこみに碇泊ていはくしてゐたしまの、高樹かうじゆ大木たいぼく根拔ねこぎきにした。 たゞ根拔ねこぎにしたばかりでない。 其中そのうちには何噸なんとんといふ重量おもいのがあつたけれど、それかぜさらはれて、ては宛然まるで空中くうちゆうたゞよ小鳥ことり羽毛はねのやうにえた。 すくなくとも海拔かいばつまいるところたつしたのであらう。 そして暴風ばうふうむか、まないに、其木そのきれ〴〵もとところ垂直すゐちよくちてふたゝるには拙生せつせいも一きやうきつした。 しかし一ばんおほき[Pg 3]illustratio03やつ空中くうちゆう吹上ふきあげられたとき其枝そのえだ木訥ぼくとつ百姓ひやくしやう老夫婦らうふうふ乗合のりあはせてゐた。 乗合のりあはせてゐたといふと馬車ばしやなんぞのやうだが、じつ胡瓜きうりつてゐたのである。 世界せかいこの地方へんになると日用にちよう靑物あをものみなつてゐる。 さてこの夫婦ふうふ體量めかたみき衡平かうへいうしなはせたから、[Pg 4]大木たいぼくひらたく地上ちじやうちて、をりから通合とほりあはせたしま首領しゆりやう即座そくざ壓殺おしころしてしまつた。 首領しゆりやう大木たいぼく屋根やねちて、いへぐるみつぶされてはならぬとおもひ、少時しばらく戶外こぐわい徘徊はいくわいして、大分だいぶむだからと、いま庭園ていゑんとほつての歸途かへりみち運好うんよ腦天なうてんたれたのである。 この運好うんよくといふ文字もんじいさゝ說明せつめいえうする。 といふのはこの首領しゆりやうといふのはしまたい鼻摘はなつまみで、獨身者ひとりものであつたが、その一人ひとり貪慾どんよく壓制あつせいめに良民りやうみんほとんどふやはずのてゐたのである。

 この惡漢しれもの捥取もぎとつた財貨たからむなしくくらなかうなつてゐるのに、うばはれた貧乏人びんばふにん飢寒きかんくといふ有樣ありさまであつた。 この暴君ばうくん[Pg 5]沒落ぼつらくまつた偶然ぐうぜんであつたが、縱令たとひ怪我あやまち功名こうみやうにもせよ、かく壓制者あつせいしや退治たいぢしてくれたのだからと、人民じんみん感恩かんおん表示しるし胡瓜きうりとり夫婦ふうふいたゞいて知事ちじにした。

 我等われらこの暴風中ばうふうちゆうかうむつた破損はそん修繕しゆぜんして、しん知事ちじおよび令夫人れいふじんわかれげ、目的地もくてきちむかつて順風じゆんぷうげた。

 それからやく週間しうかんにして我等われらはセイロンたうき、其處そこ鄭重ていちよう歡迎くわんげいけた。 つぎ珍奇ちんき冒險ばうけん多少たせう興味きようみくであらう。

獅子しゝわにはなし

 [Pg 6]セイロンたう滯在たいざいすること週間しうかんばかりののち或日あるひ拙生せつせい知事ちじおとうとれられて、鐵砲打てつぱううちかけた。

 巨大おほきみづうみ拙生せつせい注目ちうもくいた。 そのきしちかると、なに背後うしろにガサ〳〵するおときこえたとおもつて、振返ふりかへつてると、拙生せつせいほとんど石化せきくわしてしまつた。 けだこの場合ばあひおそらくは石化せきくわせぬひとはなからうとおもふ。 とまをすは一ぴき獅子しゝいたのである。 明白あきらか當方たうはう目差めざして、拙生せつせいすねのやうな體軀からだもつ食慾しよくよく滿たさうとしてすゝむでまゐる。 それも當方たうはう承諾しようだくもとめずに遂行すゐかうしようといふのだから、おそらざるをない。 この進退維谷ヂレンムマさいして如何いか處决しよけつきか?拙生せつせい全然まつたく考慮かうりよ餘地よち[Pg 7]がなかつた。 拙生せつせい鐵砲てつぱうには白鳥彈はくてうだまめてあるばかり、それよりおほき彈丸たま生憎あいにくにもなんにも持合もちあはせがない。 しかし白鳥彈はくてうだまこの動物どうぶつたふようとはおもはなかつたが、かく砲聲おとおどろかせ、多少たせう怪我けがをさせてやれるくらゐ見込みこみはあつたから、先方せんぱうしか距離きよりるのもたず、拙生せつせい火葢ひぶたつてしまつた。 砲聲おとかへつて動物どうぶつ憤怒いかりした。 かれいまきふあしはやめた。 全速力ぜんそくりよく近寄ちかよつてるやうにえた。 拙生せつせいげようとおもつたが、それかへつて心痛しんつうしたにぎぬ。 といふのは振返ふりかへさま拙生せつせい拙生せつせい呑込のみこむために大口おほぐちいたわにあやうく鉢合はちあはせをするところであつた。 まへべたとほ右手みぎて湖水こすゐである。 左手ひだりて[Pg 8]絕壁きりぎしである。 ちればした猛獸まうじう巢窟さうくつだとあとからいて承知しようちした。 短言たんげんすれば、獅子しゝ最早もはや後脚あとあし立上たちあがり、いまにも掴蒐つかみかゝりさうにしてゐるから、最早もはや生命いのちいものと觀念くわんねんして、拙生せつせい恐懼きようくあまり、無意識的むいしきてきその平伏つツぷした。 あとからさつするに、獅子しゝたゞちに飛蒐とびかゝつたに相違さうゐない。 拙生せつせいしばらくのあひだ言語げんごべがたき心情こゝろもち刻々こく〳〵猛獸まうじうきばつめ身體からだ何處どこにかあたるだらうとつてゐた。 數秒すうべうあひだ腹這はらばひのまゝつと、熱烈ねつれつ異樣いやう叫音さけびいた。 かつ拙生せつせいみゝわづらはした音響おんきやううちに、これ似寄によつたものは一つもない、とそのときおそろしくて無我むが夢中むちゆうだつたが、あとからおもつた。 しかし事情じじやうれば、それ道理だうりで、こゑ[Pg 9]でどころillustratio09わかれば、諸君しよくんしかあにしからざらんやと合點がつてんことであらうとぞんずる。 拙生せつせい少々せう〳〵聞耳きゝみゝてゝ、ぬかきるかとあたまもちあげて、周圍あたり見廻みまはすと、獅子しゝ拙生せつせい飛付とびつはうられた餘勢よせいで、拙生せつせいたふれた刹那せつなすでまをしたとほひろいたわに[Pg 10]くち飛込とびこむだのである。 前者ぜんしやかしら後者こうしやのどはまり、これそれ吐出はきださう、かれそれ拔取ぬきとらうで、轉々てん〳〵悶々もん〳〵してゐる。 これ拙生せつせい歡喜よろこびまことなんたとへやうもなかつた。 運好うんよ拙生せつせいこしけた獵刀れふたう思出おもひだして、名刀めいたう難有ありがたさ、たゞ一擊ひとうち獅子しゝくびおとした。 さつほとばしつて、くびのない死骸しがいが、足元あしもと蹣跚ぐたりたふれたとき心地こゝろもちわるさ!つぎ拙生せつせい獵銃れふじう臺尻だいじりで、獅子しゝあたまわにのど突込つきこ突込つきこみ、到頭たうとう窒息ちつそくさせてわにころしてしまつた。 かれ呑下のみくだこと出來できず、ことかなはなかつたのである。

 くして拙生せつせいが二强敵きやうてきたひらげるともなく、同伴つれをとこ拙生せつせいさがしにた。 拙生せつせいかれあとはぬに心付こゝろづいて、さてはみち[Pg 11]踏違ふみちがへたか、それともなに變事まちがひおこつたかと、早速さつそく引返ひきかへしてたとのこと

 おたがひ成功せいこうしゆくしたのち拙生せつせいわに身長たけはかつてたら、丁度きつかり四十しやくあつた。

深雪みゆき高塔かうたふはなし

 拙生せつせいふゆ最中さなかにロシヤのたび思立おもひたつた。 旅人たびゞとくちそろへて、ドイツ北部ほくぶポーランド、コーアランド、リボニヤなど道路だうろ險惡けんあくふが、拙生せつせい嚴寒げんかんなればゆきこほりかへつてみち容易らくだらうとかんがへたのである。 拙生せつせいうま出掛でかけた。 これがさい簡便かんべん[Pg 12]りよこうはふだとおもつたので。 そのうち夜陰やいん暗黑あんこく追着おひついた。 むら一個ひとつえぬ。 は一めんゆき降積ふりつむでゐる。 拙生せつせいみちまつた不案内ふあんないである。

 拙生せつせい草臥くたびれてうまからりて、ゆきうへあらはれてゐたとがつたみきのやうなものにうまつないだ。 護身ごしんめにピストルをうでしたいて一すゐむさぼつた。 ねむつたものとえて、めたときには最早もはやのぼつてゐた。 しかしいてると、拙生せつせいむら中央まんなか敎會堂けうくわいだう墓地ぼちてゐる。 これにはなんともひやうなく喫驚びつくりした。 そして拙生せつせいうまえぬ。 もなく何處どこうへはうで、やついなゝこゑがした。 おもはず見上みあげると、さら仰天ぎやうてん[Pg 13]したことには、會堂くわいだう高塔かうたふうへ風見かざみ拙生せつせいうま手綱たづなつないである。 事態じたいたゞちに闡明せんめいした。 所謂いはゆる大陸たいりく氣候きこう激變げきへんで、ゆきけるにしたがつて、拙生せつせい熟睡じゆくすゐまゝ徐々じり〳〵この會堂くわいだう墓地ぼちまでりてたのである。 昨夜さくや暗黑くらやみまぎれにみきうまつないだのはじつ會堂くわいだう高塔かうたふ風見かざみであつた。

 次第しだいわかれば面倒めんだうなにもない。 拙生せつせい直樣すぐさまピストルを取出とりだして、ねらさだめて引金ひきがねき、美事みごと手綱たづなを二つにち、つゝがなくうまおろしてときうつさずたびつゞけた。 (流石さすが男爵だんしやく此處こゝではおほ手稃てぬかりをしてゐる。 ながあひだうまえさせたのだから、飼葉かひばめいじたくらゐことつてはずだとおもふ。 )

[Pg 14]

馬具ばぐはいつたおほかみ

 うま拙生せつせいせてはしる。 ロシヤ内地ないちはいつてから拙生せつせい騎馬きば旅行りよかううやら冬季とうき流行りうかうでないと合點がてんした。 そこで常例じやうれいしたがつてそのくに習慣しふくわん採用さいようし、たん馬橇ばそりもとめ、ペテスブルヒをがけて韋駄天ゐだてんりにすゝむだ。 イーストランドであつたか、ヂャゲマンランドであつたか、くはしくは思出おもひだせないが、かくさびしいもりたゞなかだつたと記憶きおくする。 拙生せつせいおそろしいおほかみ嚴冬げんとううゑられて、全速力ぜんそくりよくつてるのにがついた。 とおもおほかみ追着おひついたから、到底たうていのがれるすべはない。 拙生せつせいたゞ機械[Pg 15]きかいてきillustratio15そりなか平伏へいふくして、無上むしやううまはしらせた。 ところがもなく拙生せつせいねがつたことで、しか此際このさい到底とても出來できない相談さうだんだとあきらめてゐた一おこつた。 とまをすは、おほかみ拙生せつせいにはすこしれず、あたまうへ跳越はねこして、狂亂きやうらんのやうにうましり獅嚙付しがみつき、たゞちにあはれむ動物どうぶつ[Pg 16]臀部でんぶ搔毟かきむしつてにくむさぼはじめた。 拙生せつせい自分じぶんけは安全あんぜん最早もはやつかる氣遣きづかひなしと、ひそかあたまもたげて樣子やうすうかがつたが、すでおほかみうま腹部ふくぶまで喰込くひこむでゐるのにはなんとも名狀めいじやうがたおそろしい心持こゝろもちがした。 あたまはうまで喰貫くひつらぬいたのはそれからやゝ少時しばらくことで、時分じぶんしと拙生せつせいむち懸命けんめいおほかみいた。 このおもひがけない背面はいめん攻擊こうげきおほかみきもつぶしてうま死骸しがい筒拔つゝぬけ、到頭たうとう馬具ばぐなか四合しつくりはまつてしまつた。 同時どうじうま摚乎ばたりたふれる。 さあ拙生せつせい必死ひつしになつてむちふるひ、つわ〳〵。 つひ拙生せつせいおほかみせずしてつゝがなくベテスブルヒに乗込のりこむだ。 や、都人士とじんしおどろいたのおどろかないのつて!

[Pg 17]

野豚のぶたゐのしゝはなし

 僥倖げうかうしばし人間にんげん錯誤まちがひたゞす。 これいては拙生せつせい特別とくべつ實例じつれいがある。 拙生せつせいもりおく野豚のぶた牝牡めすをすつけた。 めすをすあといてはしつてく。 拙生せつせい彈丸たまれたけれど、たゞ前方まへやつ逃去にげさつたばかりで、めすからえたやうに、つとしてつてゐる。 こと次第しだい調しらべてると、あとやつ年寄としより盲目めくらで、いてあるいてもらめに息子むすこ尻尾しつぽつかまつてゐたのである。 拙生せつせいたまは二ひきあひだ通貫とほりぬけ、盲豚めくらぶたくはへてゐたそのみちびきのつなつてしまつた。 そして案内者あんないしやが一かういてくれぬ[Pg 18]ものだから、彼女かのぢよ當然たうぜんだまつて立止たちとまつてゐた。 そこで拙生せつせい千切ちぎれたぶた尻尾しつぽり、年寄としよりぶたうちまでいてかへつた。 拙生せつせいおいてもなん面倒めんだうなく、ぶたはうでももとより盲目めくらことであるからこばみもせずおそれもせず。

 野豚のぶたおそろしいが、猛惡まうあく危險きけんなのはゐのしゝである。 そのゐのしゝの一ぴき或日あるひ拙生せつせい運惡うんわるもりなか行當ゆきあたつた。 攻守こうしゆとも武具えものとしては寸鐵すんてつをもびてゐない。 くるへる動物どうぶつ拙生せつせい橫打擊よこなぐりくらはせようとねらつた刹那せつな拙生せつせいかしうしろ姿すがたかくした。 すると先生せんせいはづしをつて、餘勢よせいたゞちにとゞまがたく、かしみききば突通つきとほし、打擊だげき繰返くりかへことかなはず退しりぞこともならず、たゞ地團太ぢだんだ[Pg 19]むでゐた。 『めた〳〵、拙生せつせいにも量見りやうけんがあるぞ!』と拙生せつせい矢庭やにはいしひろつて、んなことがあつてもげられぬやう、拙生せつせいちかくのむらからもどまでつてゐるやうに、てききば折釘をりくぎのやうに打曲うちまげた。 それから拙生せつせい悠然いうぜんむらかへり、なはくるまりて引返ひつかへし、美事みごと先生せんせい生捕いけどりにしてうちもどつた。

雄鹿をじかさくらはなし

 諸君しよくん獵師れふしまもり本尊ほんぞんセント・ハバートともりなかかれあらはれたるつのつのあひだ十字架じふじかてた雄鹿をじか物語ものがたりさだめて御承知ごしようちであらう。 それはかく拙生せつせいみづか目擊もくげきした珍話ちんわ紹介せうかい[Pg 20]いたさう。 或日あるひことごと彈丸たま使盡つかひつくした揚句あげくに、はからずも拙生せつせい面前めんぜん立派りつぱ雄鹿をじかあらはれた。 あたか拙生せつせい彈丸たまぶくろ取調とりしらべてその無一物むいつぶつ承知しようちしてゐるやうに、安心あんしんして拙生せつせい打目戍うちまもつてゐる。 拙生せつせいたゞちに火藥くわやくめ、泥棒どろぼうつかまへてなはふやうに、いそいで櫻坊さくらんばうり、一つかみをたまへた。 さてねらさだめて打放うちはなすと、それ鹿しかひたひつのつのとのあひだ命中めいちうし、かれ度膽どぎもかれて蹣跚よろめいたが、其儘そのまゝ疾風しつぷうのやうに走去はしりさつた。 一二ねんのち拙生せつせいそのもりかりをしてゐると、つのつのあひだに十しやく以上いじやうさくらえた立派りつぱ雄鹿をじか出會であつた。 拙生せつせいたちま先年せんねん冒險ばうけん想起おもひおこし、これなんさき取逃とりにがしたるわが獲物えものなれ、此處こゝつたが百年[Pg 21]ひやくねんめ、とたゞぱつ打倒うちたふし、一きよして腰肉にく櫻漿チエリーソース有付ありついた。 繁茂はんもして、櫻坊さくらんばう鈴實すゞなりになつてゐた。 そしてつねよりもはるかにあぢかつた。

くまおほかみはなし

 ひかり拙生せつせい火藥くわやくが、ポーランドのもりなかきてしまつた。 拙生せつせい家路いへぢいそみちすがら、おそろしいくまけられた。 かれ疾走ひたはしつて、大口おほぐちいて、いまにも拙生せつせいをどかゝらうとする。 ポッケットのなかくまなくさがしてたが、もとより火藥くわやく彈丸たまもない。 たゞ大切たいせつ火打石ひうちいし二個ふたつあるばかり。 進退しんたいきはまつて拙生せつせいその一個ひとつ[Pg 22]力委ちからまかせに怪物くわいぶつくち投込なげこむと、それのどりた。 くるしかつたとえてかれ一寸ちよいとよこいたから、この利用りようして拙生せつせいだい二の火打石ひうちいしふたゝ猛獸まうじうくちとうじたが、じつおどろ大成功だいせいこうであつた。 だい二の火打石ひうちいし飛込とびこみさま、だい一のやつ胃袋ゐぶくろなか命中めいちうし、たゞちにはつして、くま即座そくざ破裂はれつしてしまつた。 くてこともなくなんまぬかれたが、いや、思出おもひだしても慄然ぞつととする。 拙生せつせいふたゝ無手むてくまたゝか勇氣ゆうきはない。

 うもなにかの因緣いんねんえる猛惡まうあく凶暴きようぼう動物けだものあたかも本能ほんのうによつてそれ承知しようちしてゐるやうに、拙生せつせい武器えものたぬときかぎつておそつてる。 このでん或日あるひ拙生せつせいるから獰惡どうあくさうをし[Pg 23]おほかみおそはれた。 あまきふすであまちかてゐるから拙生せつせいたゞ機械的きかいてき本能ほんのうしたがひ、拙生せつせいこぶし相手あいてけたくち突込つきこほかみちがなかつた。 安全あんぜん拙生せつせい無暗むやみ突込つきこむで、つひ拙生せつせいうでおほかみかたあたりまではいつた。 しかし如何いかにしておほかみからはなれようか?けた姿勢しせいをして、何時いつまでもおほかみかほ見交みかはしてゐるのははなは不愉快ふゆくわいでならなかつた。 さりとてうで引拔ひつこぬけばかれ憤怒ふんぬきうばいして飛蒐とびかゝつてるだらう。 これそのすごまなこ明白あきらかまれる。 短言たんげんすれば拙生せつせいおほかみ尻尾しつぽとらへ、靴下くつしたぐやうに、力委ちからまかせに裏返うらがへしにして、やうや猛獸まうじうえんり、地面ぢめんたゝけて、其儘そのまゝかへつてた。

[Pg 24]

男爵だんしやく駿馬しゆんめはなし

 ところはリスアニヤにける伯爵はくしやくブルゾボスキイの別莊べつさう拙生せつせい應接間おうせつま貴婦人きふじんれんちやむでゐた。 紳士しんしれん養馬所やうばじよからたばかりの良種りやうしゆ若馬わかうまりてつた。 すると突然とつぜんあれよ〳〵とけたゝましいこゑきこえた。 拙生せつせい階段かいだん驅下かけおりてると、うま荒狂あれくるつて、ひとせるどころか、せつけさうにもない。 勇膽ゆうたん騎手きしゆまでうしなつて、せずにゐる。 失望しつばうすべてのひと顏色がんしよくまれた。 其時そのとき拙生せつせいすこしもさわがず、飜然ひらりと駻馬かんばまたがつて、その荒膽あらぎもひしぎ、拙生せつせい練逹れんたつ曲乗きょくのりこゝろみながら、さしものillustratio25[Pg 25]氣性者きしやうもの溫和をんわ從順じうじゆんらしむだ。 貴婦人きふじんれん合點がてんかせ、無益むえき恐怖おそれを一さうするやうに、拙生せつせい開放あけはなつた食堂しよくだうまどから、一むちくはへて室内しつない乗込のりこみ、其中そのなか何遍なんべんとなくあるひ並足なみあしあるひ駈足かけあしあるひ高足たかあし乗廻のりまはし、最後さいご食卓しよくたくうへ乗上のりあがり、一けんと二けん長方形ちやうはうけいうへ[Pg 26]で、今迄いままで曲藝きよくげいさら小規模せうきぼ繰返くりかへさせた。 さあ、貴婦人きふじんれんがやんやと喝采かつさいするのしないのつて!うままこと巧者こうしやなもので、コップ一つくつがへさなかつた。 これめに拙生せつせい聲價せいかとみ上騰じやうたうし、こと伯爵はくしやく驚嘆きやうたんして、常例いつも鄭重ていちよう態度たいどで、このわかうま貴下きか贈呈ぞうていする、何卒なにとぞ御笑納ごせうなふあつて、近々きん〳〵發足はつそくす可きミウニッヒはくひきゐるトルコ遠征軍ゑんせいぐんとうじ、ねがはくは撼天かんてん動地どうち功名こうみやう手柄てがらたまへ、とつての懇情こんじやう。 そこで拙生せつせいは一たい騎兵きへいしたがへ、幾度いくたび遠征ゑんせいのぼり、へいあやつこと縦橫じうわう無礙むげひところことくさごとく、げたる勲功くんこう當然たうぜん拙生せつせい計算けいさんきものであるが、勇敢ゆうかんなる部下ぶか努力どりよくまたけつして閑却かんきやくすべからざるものとしんずる。 [Pg 27]こと拙生せつせい先頭せんとうつて、土耳古とるこぐんをオクザコーに追込おひこむだときごときは、いやはやかほほてるやうな激戰げきせんであつた。

 拙生せつせいのリスアニアンは駿馬しゆんめことであるから、追擊つゐげきさいしては拙生せつせい何時いつ先登せんとうである。 其日そのひうで、てき後門うしろもんからげるのをて、拙生せつせい部下ぶかあつめるめに、市場いちばとゞまるのをさくたものとおもつた。 そこで拙生せつせいとゞまつたが、市場いちばには騎兵きへいかげえぬ。 彼等かれらまちはしつてゐるのであらうか?なに事變じへんおこつたのか?かくとほくははなれてゐまい、そのうち拙生せつせいもと追着おひつくだらう、とおもひながら、拙生せつせいあへぐリスアニアンを市場いちばいづみみづのませた。 かれ法外はふぐわいむ、いづみ飮干のみほさねば[Pg 28]まぬといふいきほひむ。 しかし最早もはや部下ぶかものえさうなものと振返ふりかへつたときにはそれ道理だうりだとおもつた。 拙生せつせいうまどうから後方うしろすなはしり後脚あとあしが、あたか銳利えいりなる刄物はもの切取きりとられたやうに紛失ふんしつしてゐる。 むだみづぐに後方うしろける。 これでは何程いくらむでもやしなひにならぬ。 うして此樣こんことになつたかは、かれともなつて正門せいもんもどまでまつたく五霧中むちうであつた。 此處こゝ拙生せつせい思當おもひあたつた―さきげるてきひながら無暗むやみこのもん突入とつにふしたときてき拙生せつせいらぬとびらおろしたものとえる。 そのとびらといふのは、そこ大釘おほくぎれつしてゑてあつて、まん一のときにはうへからおろしててき侵入しんにふふせ仕掛しかけになつてゐる。 [Pg 29]さいてき拙生せつせいれまいとしてきふおろした刹那せつなうま臀部でんぶ切去きりさつたので、げん門外もんそとには拙生せつせい愛馬あいばどうからしたが、ピクリ〳〵してゐた。 拙生せつせい早速さつそく獸醫じういむで、あたゝかうち兩方りやうはう繼合つぎあはせてもらひ、わづかつぐながた損失そんしつまぬかれた。 かれ手近てぢかにあつたかつら小枝こえだ新芽しんめ繼目つぎめつてくれた。 きずもなくなほつたが、同時どうじかつら小枝こえだうま身體からだり、えだばし、追々おひ〳〵しげはなき、おかげもつ拙生せつせいそののち遠征ゑんせいあつらずであつた。

トルコまめつきはなし

 [Pg 30]拙生せつせいいへど連戰れんせん連勝れんしようといふわけにはかなかつた。 或時あるとき衆寡しうくわてきせず生擒せいきん憂目うきめひ、こと不遇ふぐうことには奴隷どれいられた。 もつと捕虜ほりよ賣買ばい〳〵はトルコの習慣しふくわんである。 (男爵だんしやくのち皇帝サルタン寵愛ちようあいかうむつた)この屈辱くつじよく狀態じやうたいおいて、拙生せつせい每日まいにち勞役らうえきは、身體からだほねれることでなく、むし單調たんてう退屈たいくつ仕事しごとであつた。 それ每朝まいあさ皇帝サルタン蜜蜂みつばち牧場まきばひ、一にち見守もりをして、れるまでふたゝ箱巢はこす追戾おひもどことであつた。 ある夕暮ゆふぐれ拙生せつせい蜜蜂みつばちを一ぴき見失みうしなつたが、がつけば二ひきくまみつめに其蜂そのはちつぶさうとしてゐる。 拙生せつせいぎん手斧てをのほかなに武器えものたなかつた。 このぎん手斧てをの皇帝サルタン庭師にはしまた農夫のうふ表章しるしなので。 拙生せつせいくま[Pg 31]めがけてくだん手斧てをのげた。 たゞ追剝おひはぎ追拂おつぱらつて、はちさへたすければいといふ思惑おもはくだつたので。 が、拙生せつせいうでうんわる加減かげんで、をのむでとゞまらず、うへうへへとのぼつてつて、つひにはつきたつした。 さあ奈何どうして取戾とりもどしたものか?と其處そこ拙生せつせい肝膽かんたんくだいた。 ういふことむねうかむだ――トルコまねといふやつ大層たいそう生長のびはやいのみならず、おどろたかさにたすするといふ。 拙生せつせいときうつさず一ぽんのトルコまめゑた。 それ生長せいちやうしてから拙生せつせいそのこずゑを三日月かづきつの結付むすびつけた。 仕掛しかけ出來できうへは、のこところつきまでのぼつてくばかりである。 そしてこれ見事みごと成功せいこうした。 つき世界せかいなに銀色ぎんいろひかつてゐるから、おないろ[Pg 32]手斧てをのさがすのはナカ〳〵小面倒こめんだう仕事しごとであつた。 が、しかし拙生せつせい苦心くしん甲斐かひあつて、つひ籾殻もみがら藁屑わらくづむであるところ大切たいせつ手斧てをの見付みつけた。 さて今度こんどつき世界せかいから人間にんげん世界せかいかへるのである。 けれどおどろいたのは、太陽たいやうひかりすで拙生せつせいまめらしたことで、最早もはやまつた拙生せつせいおろようへない。 そこで拙生せつせいはたらはじめ、れい藁屑わらくづひろつて出來でき丈夫ぢやうぶ出來できながなはつた。 これつきつのむすび付け、追々おひ〳〵したはうすべりる。 拙生せつせいひだりしかなはつかまへ、みぎ手斧てをのち、なは不用ふようになつた部分ぶぶんつてしたつなぐ。 すなはち一りれば、うへはうの一切取きりとつてあししたつなぐといふ安排あんばいで、ど[Pg 33]うやらかうやら大分だいぶしたはうまでたが、いくらおなこと繰返くりかへしても、なにしろ距離きより距離きよりだから、容易ようい皇帝サルタンはたけかない。 もう五六といふところで、なはがフツリとれ、拙生せつせいまはるやうな速度はやさ地下ちかちて氣絕きぜつした。 此處こゝ地下ちかちたといふ言葉ことばあぢはつてもらひたい。 普通ふつうなら地上ちじやうちたとくのだが、それでは事實じじつつたねる。 といふのはなにがさて、五六うへからちたのだから、身體からだ重味おもみちたいきほひで、すくなくともふかさ九ひろばかりのあないた。 そのあなそこ拙生せつせい生氣しやうきかへつたのであるが、如何どうして這上はひのぼつていか少時しばらく勘辨かんべんちなかつた。 しかし拙生せつせいくるまぎれにつめもちゐてさかつくり、いで段々だん〳〵こしら[Pg 34]へ、じつ千辛せんしん萬苦ばんくのちに、やうや這上はひあがつてふたゝこのひかりれたときは、まあそのうれしかつたことといつたら!(男爵だんしやくつめ當時たうじ四十ねんらずにいたすゑ充分じうぶんびてゐた。 もつとういふことがあらうと豫期よきしてばしたわけでもないといふ。 )

こほつた音樂おんがくはなし

 もなくトルコとの和議わぎり、拙生せつせい自由じいうとなつてペテスブルヒをあとにした。 拙生せつせい立場たてば立場たてばうまへ、大急おほいそぎのたびをした。 せまい一本道ぽんみちしかゝつたから、ほか馬車ばしやこの細道ほそみち行當ゆきあたらぬやうにと、拙生せつせい御者ぎよしやめいじて合圖あひづのラッパを[Pg 35]かせた。 かれ一生いつしやう懸命けんめいいた。 しかし何程いくらりきむでもかうい。 かれ奈何どうしてもラッパをらすこと出來できなかつた。 何故なぜらぬか、理由わけわからなかつたが、かく生憎あいにくことで、少時しばらくすると拙生せつせい馬車ばしやむかふから馬車ばしや行當ゆきあたつた。 おたがひすゝこと無論むろんならぬ。 さりとて前述ぜんじゆつとほりの細道ほそみちだから、くるまかへことかなはず、したがつて退しりぞこと出來できなかつた。 このとき拙生せつせい馬車ばしやからりて、これでもすこしはちからがあるから、馬車ばしやしき飴屋あめやのやうにあたませ、たかさ九しやくばかりの生垣いけがきひよいして、(馬車ばしや重量おもさからつても、この藝當げいたう少々せう〳〵ほねれた。 はたけり、ふたゝむでみちふさげた馬車ばしやむかふへとた。 つぎ拙生せつせいうま[Pg 36]つた。 一ぴきあたまうへせ、一ぴきひだりうでかゝへ、まへおな方法はうはふ馬車ばしやまでつてき、喰付くつつけて、旅程りよてい最終さいしう宿屋やどやいそいだ。 拙生せつせいわきしたかゝへたはううまだ四さいにならぬあらやつで、拙生せつせいふたゝ生垣いけがき飛越とびこさうとするときその急激きふげき動搖どうえう可厭いやがつて、けつたりはならしたりしてあばれるには拙生せつせい持餘もてあました。 しかし拙生せつせいその後脚あとあしつかまへてポッケットのなかれてしまつた。 宿屋やどやいてから拙生せつせい御者ぎよしや暫時ざんじ休息きうそくした。 かれはラッパを臺所だいどころかたはらくぎるし、拙生せつせいその對側むかふがはすわつた。

 きふにテレン〳〵テン〳〵といふおときこえた。 我等われら周圍あたり[Pg 37]見廻みまはして、さてこそと先刻せんこく御者ぎよしやがラッパをらしなかつた理由りいうめた。 かれきよくはラッパのなかこほつたのだ!それいまけてたのだ!事理じり明晰めいせきしかこの御者ぎよしやはナカ〳〵の音樂家ふきてである。 それでやつこさんラッパにくちてがひもせずにながあひだ一同みんなたのしませた。 プロシヤ進行曲マーチる、『やまたにえて』がる、其他そのほか種々いろ〳〵きよくて、つひ氷釋ひやうしやく音樂おんがくをはりげた。 拙生せつせい此處こゝでロシヤ旅行談りよかうだんは一段落だんらくとする。

くぢら軍艦ぐんかんはなし

 拙生せつせいだいとう英國えいこく軍艦ぐんかん大砲たいはうもん乗組員のりくみゐん四百にんといふの[Pg 38]つて、きたアメリカにむかひポーツマスを出發しゆつぱつした。 セントローレンスがはへ三百リーグといふところくまでは、べつ話題おはなしになるやうなことおこらなかつた。 其時そのときふねおそろしいいきほひいは突中つきあたつた。 拙生せつせい多分たぶんいはだらうとおもつたが、鉛線なまりおろしててもそことゞかぬ。 三百ひろおろしたがさら手答てごたへはなかつた。 この事件じけん重大ぢうだいにし、拙生せつせい見當けんたうのつきねたのは、その震動しんどうはげしかつたことで、ふねかぢうしなひ、斜桅やりだしやぶり、マストことごと頂上てつぺんからもとまでれ、二ほん甲板かんぱんうへたふれた。 運惡うんあし大帆索おほほづなきにあがつてゐた水兵すゐへいすくなくともふねから三リーグのところ跳飛はねとばされたが、壽命じゆみやうつよをとこえて、おほきなかもめ尻尾しつぽつかまつて[Pg 39]いのちびろひをした。 かもめなに心得こゝろえてゐるといつたやうに、くだんをとこれてふねいそぎ、以前もと跳飛はねとばされたところいて行つた。 震動しんどうはげしかつた實例じつれいもう一つげれば、甲板デツキ甲板デツキあひだにゐた水兵すゐへいうへゆか打付うちつけられたくらゐ拙生せつせいあたまごときは垂直すゐちよく胃袋ゐぶくろ押込おしこまれて、もと狀態じやうたいかへるまでにはすうげつかゝつた。 この理由えたいわからぬ騷動さうどう拙生せつせいかつおどろかつおそれ、呆然ばうぜん自失じしつしてゐると、おほきなくぢら尻尾しつぽあらはれたので、渙然くわんぜんとして百事ひやくじ氷釋ひやうしやくした。 くぢら水面すゐめん十六しやく以内いないところ日向ひなたぼつこをしてねむつてゐたのである。 ところを拙生せつせいどもふね邪魔じやまをしたからはらてたものとえる。 拙生せつせいども通過とほりすぎる途端とたんに、かぢそのはな引搔ひつか[Pg 40]いた。 そこでかれふるつて、船尾せんびから後甲板こうかんばんたいち、ほとんど同時どうじに、れいとほおろしてあつた大帆索おほほづないかりり、くちくはへてふねいたまゝ、一時間じかん二十リーグの速力そくりよくで、すくなくとも六十リーグはしつたすゑさいはくさりれて、拙生せつせいどもは一くぢらくさりうしなつたのである。 しかしながら數月すうげつのち、ヨーロッパへの歸途かへりみち拙生せつせいどもおな場所ばしよからすうリーグのところで、そのくぢらんでいてゐるのをつけた。 身長たけは一まいるはん以上いじやううした巨大おほきいものは小部分せうぶぶんしか取入とりいれることかなはぬから、拙生せつせい短艇ボートおろし、やうやくのことあたま切取きりとつたらば、れいいかりくさりが四十リーグばかり、口中こうちう左側ひだりがは丁度ちやうどしたした蜷局とぐろいてゐた。 これには一同いちどう大喜悅おほよろこび[Pg 41]あつた。 (多分たぶんこれくぢら死因しいんであつたらう。 した其側そのがはひど腫上はれあがつて、焮衝きんしようおこしてゐた。 以上いじやうこの航海かうかいちうおこつたゆい一の土產みやげばなしである。 いや、のこしたことが一つある。 くぢらふねいてはし途中とちうふねはじめて、ポンプが總出そうでになつてはたらいても、はいつてみづはうおほかつた。 が、仕合しあはせなことにはだい一にそれ發見はつけんしたのは拙生せつせいである。 直徑ちよくけいしやくだいあなで、このだい軍艦ぐんかんその勇敢ゆうかんなる乗組員のりくみゐん諸共もろともたゞ拙生せつせい頓智とんちによつて沈沒ちんぼつまぬかれたといつたら、諸君しよくん拙生せつせい得意とくいすこしはさつすること出來できるであらう。 一げんすれば、拙生せつせいそのあなうへすわつたのである。 これも拙生せつせい祖先そせん和蘭陀オランダじんからくだつたといふこと御承知ごしようちなら、諸君しよくん[Pg 42]あるほど感嘆かんたんいたすであらう。

 すわつてゐたあひだはナカ〳〵つめたかつたが、もなく大工だいく修繕しゆぜんくはへて、拙生せつせいつとめいてれた。

譯者*やくしやいはく、これ男爵だんしやくつぎ名高なだかはなし引合ひきあひ洒落しやれたのであるが、其話それらぬひとにはいさゝ樂屋落がくやおちきらひがある。 よつて其話そのはなしすぢに、

 和蘭陀おらんだうみてきとするくにうみよりひく土地とちおほいから、堤防ていばうきづいてみづ堰止せきとめる。 が、なみしばしこの堤防ていばうやぶつて、人畜じんちくころ家屋かをくながす。 ある夕暮ゆふぐれをとこ堤防ていばう小穴こあないたのにがついた。 みづ滴々ちよぼり〳〵つてゐる。 かれ堤防ていばう大切だいじこと[Pg 43]いて承知しようちしてゐた。 ぐにうちはしつてちゝげようかとおもつたが、ちゝ驅付かけつけるまでにはれる、あなつからなくなるかもれぬ、あるひ其間そのあひだあなおほきくなるかもれぬ、と思返おもひかへして、其子そのこ其處そこすわつてあなおさへたまゝ一夜ひとよかした。 あさになつて人々ひと〴〵それこゝろづき、たゞちに修繕しゆぜんくはへ、一少年せうねんのおかげで一地方ちはう洪水こうずいまぬかれたといふ。

大魚たいぎよはなし

 拙生せつせい或時あるとき地中海ちちうかいで、ひよんことから一めいおとところであつた。 それなつ午後ひるすぎで、拙生せつせいはマルセーユ附近ふきん心持こゝろもちよいうみ[Pg 44]游泳いうえいをしてゐた。 すると巨大おほきさかな大口おほぐちあいて、非常ひじやう速力そくりよく拙生せつせいむかつてるのをた。 咄嗟とつさことで、ける如何どうするもない。 拙生せつせいたゞちにあしちゞちゞくびちゞめ、うまれたてののやうに、出來でき身體からだちひさくして、其儘そのまゝ大魚たいぎよのど躍込をどりこみ、いで到着たうちやくした。 そこで少時しばらく眞暗黑まつくらやみなかつとしてゐた。 あたゝかくて居心ゐごゝろかつたらうつて?いや、諸君しよくんのおさつしのとほりだ。 しかし拙生せつせいかんがへた――文字もんじどほりに魚腹ぎよふくはうむられてしまつては仕方しかたない、うにかしてなければならぬ。 それにはいたせたら、大魚たいぎよ拙生せつせい持餘もてあましてつひには吐出はきだすであらう。 運動うんどうする餘地よち充分じうぶんあつたから、拙生せつせいはデ[Pg 45]illustratio45ングリカヘシをつ、トンボガヘリをる、高飛たかとび幅飛はゞとび宙返ちうがへりといふふう一生いつしやう懸命けんめい惡戯いたづらをした。 こと英國踊えいこくをどりをやりながらあし早目はやめむのが一ばんけたとえ、それはじめるともなく、かれ時々とき〴〵拙生せつせい吐出はきだしさうにする。 拙生せつせい此處こゝ先途せんど踊跳をどりはねる。 つひかれ[Pg 46]おそろしいこゑてゝ水中すゐちう直立ちよくりつし、あたまからかたけて身體からだ水面すゐめん露出あらはした。 それをイタリヤ商船しやうせん人々ひと〴〵つけてすゝり、數分すうふんのちに、大魚たいぎよもり仕止しとめられた。 さかな甲板かんぱんの上に引上ひきあげられてからもなく、拙生せつせいは、一ばん澤山たんとあぶらるには何處どこからつたらからうかと、そと人々ひと〴〵相談さうだんしてゐるこゑ聞付きゝつけた。 拙生せつせいはイタリヤわかるから、さかな拍子ひやうし刄物はもの拙生せつせいあたつては大變たいへんじつでなかつた。 動物どうぶつ胃袋ゐぶくろひろさは十二三にん大男おほをとこ收容しうようするにる。 彼等かれら無論むろんはしはうから切始きりはじめるだらうとおもつて、拙生せつせい胃袋ゐぶくろ眞中まんなかつてゐたが、拙生せつせい恐怖おそれもなく消失きえうせた。 彼等かれら下腹したはらからはじ[Pg 47]た。 切口きりくちから光線あかりすやいなや、拙生せつせい最早もはや窒息ちつそくしさうだからはやたすけてれと呶鳴どなつた。 なにしろさかな人間にんげんのやうなこゑてたといふので、彼等かれら驚愕きやうがく性質せいしつおよ程度ていど何程なにほど棒大ぼうだいいても眞相しんさうつたへること出來できぬ。 そして裸體はだか拙生せつせい直立ちよくりつしたなりさかな腹部はらからあるしたときには、彼等かれら喫驚きつきやう一層ひとしほであつた。 一げんすれば拙生せつせいは一始終しじう唯今たゞいま諸君しよくんはなとほ彼等かれらはなしたのである。 彼等かれらあきかへつてみづふくむだやうにだまつていてゐた。

 食物しよくもつ元氣げんきをつけて、拙生せつせいふたゝうみ飛込とびこむで身體からだきよめた。 ぬら〳〵してなまぐさくて氣持きもちわるかつたこと! それからきし[Pg 48]およいたらば、着物きもの以前もといたところにあつた。 時計とけいしてると、拙生せつせいすくなくとも四時間じかんはんさかなはらなかにゐた勘定かんぢやうになる。

 ヂブラルター包圍はうゐはなし

 先頃さきごろのヂブラルター包圍はうゐあひだ拙生せつせいはロドニーきやう引率いんそつ御用船ごようせんつて親友しんいうエリオット將軍しやうぐんひにつた。 其後そのごどう將軍しやうぐんはヂブラルターをまもつた功勞てがらにより、永久とこしへしぼまぬかつらかむりた。 拙生せつせい將軍しやうぐんともなはれて、守備しゆび情勢じやうせい視察しさつならび敵軍てきぐん作戰さくせん見物けんぶつかけた。 拙生せつせいはロンドンのドルランドでもとめた[Pg 49]最上さいじやう望遠鏡ばうゑんきやう携帶けいたいしてゐた。 そのちからりて拙生せつせいてき拙生せつせいつてゐるところねらつて三十六舊砲きうはう發射はつしやしようとしてゐるのをたしかめた。 そこで將軍しやうぐん拙生せつせいところげると、將軍しやうぐん望遠鏡ばうゑんきやうのぞいて、まつた貴下きか觀察くわんさつどほりぢやといふ。 拙生せつせい將軍しやうぐん許可きよかて、近傍きんばう砲臺はうだいから四十七臼砲きうはう取寄とりよせるやうにめいじ、ながあひだ砲術はうじゆつ硏究けんきうをしてゐる難有ありがたさは、たくみに据付すゑつけをはつてねらひをさだめた。

 拙生せつせいつと先方せんぱう樣子やうすうかゞつてゐたが、てきその臼砲きうはう火門くわもん燐寸マツチくと同時どうじに、『て!』と一せい信號あひづはつした。

 此方こつち臼砲きうはう先方むかふ臼砲きうはうとのほとんど中途ちゆうとぐらゐのところで、[Pg 50]さうはう彈丸たま猛烈まうれついきほひ行當ゆきあたつた。 結果けつくわじつおどろきもので、る〳〵先方せんぱう砲丸たまおそろしいいきほひ退却あとじさりはじめ、發砲はつぱうしたをとこあたまばし、行當ゆきあた次第しだいに十いう餘人よにんたふして、對岸たいがんアフリカしうのバーバリーにたつした。 バーバリーにとゞいたころは、すでに一れつならむでゐた軍艦ぐんかんマストを三ぼんまで貫通くわんつうして、大分だいぶちからけてゐたから、わづかにいつ日傭取ひようとり小屋こや屋根やねつらぬき、をりからくちいて晝寢ひるねをしてゐたその老妻らうさいしのを二三ぼんくだいて、つひその喉頭こうとうとまつた。 もなく亭主ていしゆかへつてて、たま拔取ぬきとらうとしたが、とて駄目だめなので、㮶杖こみやもちゐて押落おしおとしてしまつた。 拙生せつせい砲彈はうだんじつ偉大ゐだいこうさうした。 たゞ敵彈てきだん[Pg 51]はねかへしたのみならず、拙生せつせいども狙擊そげきした臼砲きうはう拂退はらひのけて荷倉にぐらみ、ちからあまつて船底ふなぞこつらぬいた。 ふね浸水しんすゐして、乗組のりくみ西班牙スペイン水兵すゐへい一千、ならび多數たすう陸兵りくへいともそこ藻屑もくづとなつてしまつた。 これまこと異例いれい功績こうせきである。 しかりといへども、拙生せつせいは一この勲功くんこうわたくししない。 拙生せつせい判斷はんだん主動しゆどうであつたが、僥倖げうかうまたあづかつてちからがある。 のちところによれば、が四十九臼砲きうはう發射はつしやした砲手はうしゆは、なにかのかんがちがひで二ばい火藥くわやくめたといふ。 まつたうでゞもなければ、敵彈てきだんはじかへなどといふ豫想外よさうぐわい成功せいこうしてをさめられるものでない。

 この獨得どくとくなる勞役らうえき効果かうくわみし、將軍しやうぐん將來しやうらい拙生せつせいおももち[Pg 52]ゐたいといふことであつたが、拙生せつせいなに固辭こじして、そのゆふべ將校しやうかうどうとも晩餐ばんさん食卓しよくたくいたときたゞ鄭重ていちようなる感謝かんしやだけをけた。

海馬たつのおとしごはなし

 拙生せつせい有名いうめい石投いしなげちゝから直接ちよくせつ受繼うけついだものである。 これいて拙生せつせいちゝからつぎ物語ものがたりいたことがある。

 ちゝれい石投いしなげをポッケットにれてハーウイッチの海岸かいがん散步さんぽしてゐた。 一まいるとはかぬうちかれ海馬たつのおとしごといふおそろしい動物どうぶつおそはれた。 大口おほぐちいていきほひまうびかゝつたといふ。 [Pg 53]illustratio53かれ一寸ちよつと度膽どぎもかれたが、たゞちに百ヤードばか退しりぞき、いし二個ふたつひろめにかゞむだ。 もとより海岸かいがんことだからいし澤山たくさんある。 かれ石投いしなげめるよりはや動物どうぶつ目蒐めがけてけたところねらたがはず兩方りやうはうまなこあたり、たま飛出とびで拍子ひやうしに、いしそのあと聢乎かちりはまむだ。 そ[Pg 54]こでかれその動物どうぶつまたがつてうみ乗込のりこむ。 海馬たつのおとしごまなこうしなふと同時どうじその猛惡まうあく性質せいしつうしなつて、きはめて從順じうじゆんになつたといふ。 ちゝれい石投絲いしなげいと手綱たづなとして動物どうぶつくち宛行あてがひ、わけもなくうみわたり、三時間じかんとはたぬうちに、やく三十リーグの對岸たいがんいた。 ホルランド、ヘルベツルイスの三盃みつさかづききみこの海馬たつのおとしご公衆こうしう縦覽じうらんきようしたいとてつての懇望こんまう。 そこでちゝは七百ダカットすなはち三千ゑん値賣ねうりをして、翌日よくじつ御用船ごようせんでハーウイツチにかへつてた。

えびはなし

 拙生せつせいちゝ海馬たつのおとしごつて英國えいこく海峽かいけふ橫切よこぎり、ホルランドへ[Pg 55]つたたびうち重要だいじ部分ところはなおとした。 間違まちがひのないやうにちゝ言葉ことばりておはなししよう。 ちゝこのはなし幾度いくたびとなく友人いうじんはなし、その都度つど拙生せつせいうけたまはつたから、たしかなものである。 で、つぎ拙生せつせいとあるはちゝことである。

 ヘルベツルイスに到着たうちやくしたとき拙生せつせい呼吸いきづかひがくるしくえたさうだ。 如何どうしたわけかと土地とち人々ひと〴〵くから、じつ拙生せつせいのハーウイッチからつてまゐつた動物どうぶつは、およいでたのではないとこたへた。 彼等かれら特性とくせいとして、彼等かれら水面すゐめんうかことおよこと出來できぬ。 彼等かれらきしからきしまで海底かいていすなうへ千萬せんまん魚類ぎよるゐおどろかして、はなしてもうそのやうな速力そくりよくはしる。 その魚類ぎよるゐ大部[Pg 56]だいぶぶん尻尾しつぽ尖端さきあたまがついてゐるといふ工合ぐあひで、拙生せつせい懇意こんいにしてゐたさかなとは大分だいぶ形狀けいじやうことにしてゐる。 拙生せつせいたかさアルプス山脈さんみやく伯仲はくちうあひだにある岩脈がんみやく通過とほりこした。 この海底かいてい山脈さんみやく最高所さいかうしよ水面すゐめんから百ひろ以上いじやうとのことである。 山腹さんぷくいたところ大樹たいじゆ喬木けうぼくしげり、えびかに帆立貝ほたてがひはじめとして其他そのほかありとあらゆる海產物かいさんぶつえだしぼつてつてゐる。 其中そのなかにはたゞ一個ひとつで、くるまおろ牛車うしぐるまにもねるやうな大物おほものがある。 漁師れふしかゝつてうを市場いちばるのはきはめて劣等れつとう種類しゆるゐで、まさ波落なみおちといふ代物しろものである。 果樹園くわじゆゑん果物くだものかぜおとされたものを風落かざおちび、むしおとされたものを蟲落むしおちしようするがごとく、この海產林かいさんりんなみ[Pg 57]あたつてえだからふるおとしたものを波落なみおちといふ。 田螺たにしるゐ蔓木つるぎで、かきしたえる。 あたかつたかし卷付まきつくやうにかきからむで、田螺たにし零餘子むかごのやうにつてゐる。 拙生せつせい處々ところ〴〵破船はせん結果けつくわた。 其中そのなか水面すゐめんから三ひろばかりの岩山いはやま突當つきあたつて沈沒ちんぼつしたふねがあつた。 しづとき船側ふなばらしたになつて、其處そこえてゐたえび根拔ねこぎにしたとえる。 それはるえびあをころであつた。 はげしい震動しんどうめに、えだはなれて、したえてゐたかにえだちた。 そこで植物しよくぶつ花粉かふんのやうにかに結合けつがうして、かにともつかずえびともつかぬ一しゆ異樣いやうさかなになつた。 拙生せつせい參考さんかうめに一ぴきつてかうとおもつたが、[Pg 58]厄介にやくかいになるうへに、拙生せつせい海中かいちうペガサスはしきりにいそぎ、いやしくもたびおくれさせるやうなこと絕對的ぜつたいてきこばむやうにえたから、不本意ふほんいながら斷念だんねんした。 當時たうじほとんど旅程りよてい中間ちゆうかんたつし、ふかさ五百ひろの一岩山がんざんはしつてゐて、空氣くうき缺乏けつぼふをソロ〳〵くるしくかんはじめたから、餘計よけい仕事しごと手間てまなかつた。 のみならず拙生せつせい立場たちば方面はうめんからてもはなは不愉快ふゆくわいであつた。 拙生せつせい幾多いくた大魚たいぎよ出會であつた。 ひらいたくちによつてさつするに、彼等かれら拙生せつせいこと出來できるばかりでなく、たしかに呑込のみこつもりとえた。 拙生せつせい*ジナンテは盲目めくらであるから、拙生せつせいくるしいなかにもをつけてこのしゆ動物どうぶつ警戒けいかいせねばなら[Pg 59]なかつたのである。

*ガサスはベラーオホンのつたつばさのある駿馬しゆんめ、ロジナンテはドンキホーテの愛馬あいばである。

白熊しろくまはなし

 我等われらはキヤプテン、フイリップ(いまはマルグレーヴきやう)の北極ほくきよく探險たんけん旅行りよかうみな承知しようちしてゐる。 拙生せつせい士官しくわんとしてゞなく、私友しいうとしてキヤプテンに同行どうかうした。

 北緯ほくゐおほいせまつたとき拙生せつせいさきのヂブラルターの冒險ぼうけんせつ紹介せうかいした望遠鏡ぼうゑんきやうもつ周圍あたり風物ふうぶつ瞻望せんぼうしてゐた。 すると拙生せつせい[Pg 60]はんリーグばかりの彼方あなたに、ふねマストよりもたか氷山ひやうざんうへで、白熊しろくま白熊しろくま喧嘩けんくわをしてゐるのを見付みつけた。 で、拙生せつせい早速さつそくじうつてかたかつぎ、こほりやまのぼはじめた。 頂上ちやうじやうたつしたとき表面へうめん凹凸おうとつたゞならず、動物どうぶつ近寄ちかよこと困難こんなんであつたばかりか、はんかたなく危險きけんであつた。 ときにはそこれぬ隙目われめみちさまたげる。 其樣そん場合ばあひにはねむつて飛越とびこほかすべがなかつた。 ときには表面へうめんかゞみのやうになめらかで、あるくよりはすべはうおほかつた。 彈丸たまとゞちかくにると、くま咬合かみあひでなく、巫山戯ふざけつてゐたのである。 拙生せつせい少時しばらくその毛皮けがは價値ねうち胸算用むなさんようしてゐた。 各々おの〳〵えた雄牛をうしぐらゐおほきさである。 不幸ふかうにしてじう差出さしだ[Pg 61]刹那せつな拙生せつせいみぎあし踏辷ふみすべらせて、仰向樣あふむけざま顚覆ひつくりかへつた。 正氣しやうきかへつたときにはすでべたるこの怪物くわいぶつの一ぴきが、拙生せつせい覆重おひかさなり、拙生せつせいのズボンの帶革バンドつかみ、あしまへかしらうしろといふふうに、拙生せつせい鞄吊カバンさげにげてところであつたから、その驚愕おどろきさつしてもらひたい。 拙生せつせいこのときすこしもさわがず、上着うはぎのポッケットから短刀たんたうるよりはやく、せずにくま後足うしろあしをちよきつとると、ゆびが三ぼんばらりとちた。 かれ立所たちどころ拙生せつせいはなして、くもおそろしくたけつた。 拙生せつせいたゞちにじうつてげてところつと、たま急所きうしよあやまたず、さしもの猛獸まうじう即座そくざたふれた。 さてじうひゞきはんまいる以内いないねむつてゐた白熊しろくまことごとおこした。 いま彼等かれら[Pg 62]こぞつて拙生せつせいもとあつまつた。 まこと咄嗟とつさあひだである。 進退しんたいきはまをとこだといふかもれぬが、拙生せつせいまつた進退しんたいきはまところであつた。 しかしあたかし、このとき拙生せつせい腦細胞なうさいぼう仕合しあはせな奇智きち湧上わきあがつた。 拙生せつせい常人ひとうさぎ時間じかん半分はんぶんで、んだ白熊しろくまかはぎ、手早てばや其中そのうちかくし、くまあたまから頭巾づきんのやうにてきのぞいた。 拙生せつせい計畫けいくわく自家じか防衞ぼうゑいうへ大成功だいせいこうであつた。 彼等かれらみなはなをクスン〳〵いはせて拙生せつせいまはし、明白あきらか拙生せつせい兄弟分きやうだいぶん心得こゝろえてゐる。 拙生せつせいまたつとめて猫背ねこぜになつて、こと露顯ろけんふせがうとした。 しかしながら拙生せつせいこのくま大部分だいぶぶん拙生せつせいよりもちひさいといふことがついた。 彼等かれら拙生せつせい凝視ぎようしし、つぎ拙生せつせいかは[Pg 63]illustratio63がれた朋輩ほうばい死骸しがい凝視ぎようししてから、我等われらきはめて社交的しやかうてきえた。 拙生せつせいたくみに彼等かれら動作どうさくま眞似まね眞似まねすること出來できたから、おほい羽振はぶりいたのでもあらうが、うなことえること相撲すまふことにかけては、彼等かれらうしても拙生せつせい先輩せんぱいであつた。 とき拙生せつせい[Pg 64]くして彼等かれらあひだつくつた信用しんよう如何いかにして利用りようすべきかとかんがはじめた。

 脊柱せきちうきずたゞちにひところすといふ。 これねて老軍醫らうぐんいからいたことである。 で、拙生せつせいは一つこのせつ試驗しけんしてになつて、ふたゝ短刀たんたうけ、あそたはむれるふりをしながら、一ばんおほきなやつ首筋くびすぢをぐさりとした。 ――もつと仕損しそんじたには、かれたゞちにかゝつて、拙生せつせい微塵みぢんくだらうとしかおもへぬから、いや拙生せつせい心痛しんつうじつに一とほりや二とほりでなかつた。 がかれすこしもおとてずに拙生せつせい足下あしもとたふれたときじつうれしかつた。 そこで拙生せつせいあぢめて、おな方法はうはふによつて一ぴきのこらずころ[Pg 65]決心けつしんをして、些細ささい困難こんなんもなく成功せいこうした。 彼等かれら同輩どうはい拙生せつせいさはごとたふれても、一かう原因げんいん結果けつくわうたがはなかつた。 てきこと〴〵拙生せつせいまへたふれたとき拙生せつせいだい二の*ムソンになつたやうな心持こゝろもちがした。

 それからさきこと簡單かんたん辻褄つぢつまつければ、拙生せつせいふねもどつて船員せんゐんの三ぶんの一をり、手傳てつだつてもらつてかはぎ、ハム甲板かんぱんはこむだ。 何分なにぶん大人數おほにんずうことであるから、この仕事しごとは三十ぷんばかりで片付かたづいた。 ほか部分ぶぶん悉皆すつかりうみてゝしまつたが、しか仕舞しまひをつければハム同樣どうやう食料しよくれうになつたこと拙生せつせいがううたがひれぬところである。

[Pg 66]*ムソンは舊約きうやく全書ぜんしよ人物じんぶつ剛力がうりきあり。

捕虜ほりよすくひたるはなし

 拙生せつせいはヂブラルターからかへつて、英國えいこくめにフランスをとほつた。 外國人ぐわいこくじんことであるから、所謂いはゆるたびはぢてゞ、別段べつだん不都合ふつがふにも出合であはなかつた。 カレーのみなと拙生せつせいは、戰爭せんさう捕虜ほりよになつた英國えいこく水兵すゐへいせて到着たうちやくしたばかりのふねた。 拙生せつせいたゞちにこの勇敢ゆうかんなる軍人ぐんじん自由じいうあたへてやりたいといふ義俠心ぎけふしんおこし、つぎごとくにして美事みごと成功せいこうした。

 ながさ四十ヤードはゞ十四ヤードといふおほきなつばさを一つゐ[Pg 67]こしらへて、拙生せつせい萬象ばんしやういまゆめからめぬあさぼらけ、いな甲板上かんぱんじやう番兵ばんぺいまでがねむつてゐるころに、大空おほぞらたかあがつた。 つぎふねうへさがつて、かぎ使つかつてれい石投いしなげいとを三ぼんマスト頂點ちやうてん結付むすびつけ、船體せんたい水面すゐめんすうヤードのところ引上ひきあげてドーバーをして海峽かいけふはじめ、三十ぷんにして無事ぶじ到着たうちやくした。 最早もはや此上このうへつばさようもないから、それ其儘そのまゝドーバーの城主じやうしゆ獻上けんじやうした。 いままで博物館はくぶつくわん參考品さんかうひんとしてのこつてゐる。 ドーバーへつたら是非ぜひたまへ。

 捕虜ほりよおよそれ護送ごさうしてゐた佛國ふつこく軍人ぐんじんは、ドーバーへいてから二時間じかんなんなんとするまでまさなかつた。 英人えいじん事情じじやう[Pg 68]るやいなや、たゞちに佛人ふつじん地位ちゐへ、捕獲ほかくされた物品ぶつぴん取戾とりもどした。 彼等かれら寛大くわんだいであるからすゝむで報復的はうふくてき新捕虜しんほりよ所有物しよいうぶつかすめるやうなことはしなかつた。

獵犬れうけんトレイのはなし

 拙生せつせい船長せんちやうハミルトンとともひがし印度いんど諸島しよたう航海中かうかいちう、トレイといふ愛犬あいけんれてゐた。 かれ嗅犬ポインターけつして拙生せつせいあざむいたことがないから、下世話げせわまをつちしようかねしよう體重めかたけを貴金きんはらふからといはれても、手放てばながた尤物いうぶつであつた。 或日あるひ我等われら觀察くわんさつによれば陸地りくちからすくなくとも三百リーグのところで、トレイは[Pg 69]えもの嗅付かぎつけた。 拙生せつせい驚愕きやうがくあまり、ほとんど一時間じかんといふもの、かれ樣子やうす見守みまもつて、船長せんちやうならび乗組のりくみ船員せんゐん拙生せつせい愛犬あいけん獲物えもの嗅付かぎつけた以上いじやうは、すで陸地りくちちかいのだらうと、こと次第しだいはなしてかせた。 このはなしは一どう大笑おほわらひつたが、わらはれたからといつて、拙生せつせいのトレイにたいする信用しんよう秋毫しうがうかはらぬ。 押問答おしもんだふすゑ拙生せつせいこのふね船員せんゐん全體ぜんたいまなこよりもトレイのはな信用しんようくと大膽だいたん言放いひはなち、すゝむでは、半時間はんじかんうち獲物えもの見付みつからぬやうなら、拙生せつせい船賃ふなちんけの金額きんがくすなはち百ギニイを進呈しんていすると申出まをしでた。 船長せんちやうひとをとこで、たゞわらふばかりで本氣ほんきにしない。 そして船醫せんいのクローホートくんたのむで拙生せつせいみやく[Pg 70]させた。 クローホートくんたのまれなくても職分しよくぶんじやう是非ぜひおう診察しんさつせねばならぬといふ意氣込いきごみで、拙生せつせいみやくはかつたが、拙生せつせい健康けんかう異狀いじやうのないこと明言めいげんした。 つぎ會話くわいわ船長せんちやう船醫せんいあひだおこなはれた。 ひくこゑしか少々せう〳〵はなれてゐたが、拙生せつせいには聞取きゝとこと出來できた。

精神せいしん異狀いじやうがあるのでせう。 わし本氣ほんき此樣こんかけをするになれない。 』『いゝえわたし見立みたてではあたま健全たしかなものです。 矢張やは此船こゝ船員せんゐん判斷はんだんよりはいぬ嗅覺きうかくおもきをいてゐるのでせう。 かけるといふならつたはういぢやありませんか。 先方せんぱうけるにきまつてゐます。 またけるのが當然たうぜんです。 』『いや[Pg 71]せんぱうけるにきまつてゐるから、わたしは二のあしむのです。 結果さきえてちやかけになりませんからな。 かくあとかねかへことにして一ばんおどろかしてやらう。 』

 此樣こん談話はなしうちにも、獵犬れふけんおな姿勢しせいをしてゐるから、拙生せつせい尙更なほさらつよくなつて、ふたゝかけうながすと、今度こんど先方せんぱうおうじた。 『よろしい。 』『いとも。 』が雙方さうはうあひだ交換かうくわんされるかされないに、ともつないだ短艇ボートつてつりをしてゐた水夫共すゐふどもが、巨大おほきふかもりけた。 引上ひきあげてあぶらつもりで切開きりひらくと、どうもおどろく、この動物どうぶつ胃袋ゐぶくろなかきてる鷓鴣しやこが六つがひまでゐた。

 彼等かれらなか餘程よほどながあひだゐたとえる。 一牝鳥めんどり[Pg 72]たまご四個よついてゐた。 ほ一つのたまごふかひらいたときには丁度ちやうどかへところであつた。 雛鳥ひなどりそれから數分すうふんまへうまれたねこと一しよにしてそだてた。 親猫おやねこ自分じぶんの四つあし同樣どうやうに、へだてなくこのとり可愛かはゆがつたが、それ舞上まひあがつてナカ〳〵かへつてないときには、どくのやうに心配しんぱいさうであつた。 ほか牝鳥めんどりえず一以上いじやうについて、船長せんちやう食卓しよくたくには鷓鴣しやこえることがなかつた。 拙生せつせいはトレイのおかげ美事みごと百ギニーまうけたから、のおれいとしてかれには每日まいにちほね振舞ふるまひ、ときにはとり總身まるごとことにした。

[Pg 73]

つき世界せかい旅行りよかうだん

 拙生せつせいぎん手斧てをのさがして一つき世界せかいつたことは、すで諸君しよくん御承知ごしようちとほりである。 其後そのご拙生せつせいはもつと愉快ゆくわい方法はうはふふたゝ同地どうち旅行りよかうし、しばら滯在たいざいあひだ種々しゆ〴〵面白おもしろ觀察くわんさつをした。 いまつぎ槪略がいりやく拙生せつせい記憶きおくゆるすだけ精確せいかくにおはなししてたい。

 拙生せつせいとほ親類しんるゐもの依賴たのみによつて、探險たんけん航海かうかいのぼつた。 親類しんるゐといふのはすこぶめう空想かんがへいだいてゐた。 かれしんずるところによると、ガリバーの大人國たいにんこくにあるやうな巨大おほき人間にんげんかならこの世界せかいにあるといふのであつた。 拙生せつせい自分じぶん意見いけんでは[Pg 74]大人國たいにんこくつくばなしだとめてゐたが、かれ拙生せつせい財產ざいさんゆづつてくれたから、そのおんほうじのめに、探險たんけん引受ひきうけて南海なんかいむかつた。 南海なんかいいてもべつ珍奇ちんきなものは見當みあたらなかつたが、空中くうちう跳背戯うまとびや、舞踏ぶたふをしてゐる幾群いくむれかのつばさある男女だんぢよ出會であつた。

 キヤプテン、クックがオマイをしたといふオタハイテたうぎてから十八にちのち暴風ぼうふうおこつて拙生せつせいどもふねすくなくとも海拔かいばつ四千リーグのところ吹上ふきあげた。 拙生せつせいども當分たうぶんたかさにいかりおろしてゐると、また大風おほかぜ吹起ふきおこつてといふこと〴〵はらませ、我等われらまはるやうな速力そくりよくたびつゞけた。 くしてすゝこと週間しうかんのちつひ拙生せつせいどもまるひかつてゐるしまのやうな[Pg 75]陸地りくち發見はつけんした。 そこで便利べんりのいゝみなとはいり、いで上陸じやうりくし、もなくひとむでゐることたしかめた。 拙生せつせいどもしたには都會とくわい山脈さんみやく森林しんりん川海かはうみとうつた地球ちきうえた。 多分たぶん拙生せつせいどもあとにしてこの世界せかいだらうといふ鑑定かんていであつた。 此處こゝ拙生せつせいどもあたま三個みつある非常ひじやうおほきい禿鷹はげたかつた人々ひと〴〵た。 このとり巨大おほきさは、つばさかた一方いつぱうはゞ拙生せつせいどもつてゐた六百とんふねおほ帆索ほづなながさの六ばいあるとまをしたら、大體だいたい見當けんたうくだらうとおもふ。 我等われらこの世界せかいうまるやうに、月世界げつせかいすで拙生せつせいどもらぬ月世界げつせかいはいつてゐたのである。 )の住民ぢうみんみなこのとりつてあるく。 拙生せつせいども謁見えつけんおほかつた帝王ていわうは、當時たうじ太陽たいやう[Pg 76]せんさう最中さいちうで、拙生せつせい是非ぜひ司令官しれいくわん任用にんようしたいとのおほせであつたが、拙生せつせい同伴つれもあることだし、事情じじやうつうじてゐないから、只管ひたすら陛下へいか有難ありがた思召おぼしめし御辭退ごじたい申上まをしあげた。 つき世界せかいでは凡百すべてもの法外はふぐわい巨大おほきい。 一れいまをせばのみひつじぐらゐある。 いや、ひつじよりも少々せう〳〵おほきからうか。 かく其樣そん工合ぐあひだから、みなもつ類推るゐすゐすること出來できるであらう。 戰爭せんさうあたつておもなる武噐ぶき大根だいこんである。 大根だいこん投槍なげやりとしてもちゐ、あれで負傷ふしやうすると即死そくしするといふはなしだ。 彼等かれらたて蕈類きのこるゐ出來できてゐる。 投槍なげやり大根だいこん時節じせつには石刀柏つまばうど先端さきはう代用だいようするさうだ。 此處こゝでは天狼星てんらうせい住民ぢうみんこと出來できた。 彼等かれら商業しやうげふたみ彼地あつち此方こつち漂泊へうはく[Pg 77]illustratio77る。 かほいぬはな頂上てつぺんにあるが、眼瞼まぶたといふものがない。 しかしねむときにはしたばしてふさぐといふ。 身長みのたけ普通ふつう二十しやく月世界げつせかい住民ぢうみんいたつてはほずつとおほきく、三十六しやく以下いか矮小せいつぴく部類ぶるゐはいる。 彼等かれら人間にんげんとはばれてゐない。 料理れうり動物どうぶつといふ[Pg 78]である。 すなは動物どうぶつではあるが、普通ふつう動物どうぶつことなつて、我等われらのやうにもちゐて食物しよくもつ料理れうりする。 しか彼等かれら食事しよくじめに時間じかんつぶさない。 料理れうりむとひだりはらひらいて一悉皆すつかりみ、つぎつき食事しよくじまでは其儘そのまゝかたぢてく。 彼等かれらねんに十二くわいすなはつきに一以上いじやう食事しよくじらぬ。 大食家たいしよくか食道樂くひだうらくのぞいては、この方法はうはふ簡便かんべんからうとおもふ。

 この料理れうり動物どうぶつには一せいしかない。 彼等かれらみなからうまれる。 料理れうり動物どうぶつよりもうつくしい。 えだ眞直まつすぐ肉色にくいろびてゐるから、一けんして區別くべつく。 胡桃くるみるゐで、ながすくなくとも一ヤードの堅牢けんらうからなかはいつてゐる。 じゆくはじめると[Pg 79]いろかはるかられる。 それきはめて丁寧ていねい收穫しうかくして、適宜てきゞ時間じかんたくはへてく。 この胡桃くるみたねかさうとおもときには、たぎつた大釜おほがまなかほうむ。 數時間すうじかんでると、からしゞみのやうにくちいて、なかから料理れうり動物どうぶつ飛出とびだす。

 造化ざうくわまこと妙巧めうこうで、うまれぬまへから彼等かれら心性しんせいしたがつてその職業しよくげふめてく。 すなはだい一のからからは軍人ぐんじんうまれ、だい二のからからは哲學者てつがくしやうまれ、だい三のからからはかみうまれ、だい四のからからは辯護士べんごしうまれ、だい五のからからは百姓ひやくしやうだい六のからからは田舎漢ゐなかものだい七のからからは盜賊どろぼうといふふうで、彼等かれらうまれるとぐに、すで理論りろん承知しようちしてゐるところ實行じつかうつて完成くわんせいとりかゝる。

 [Pg 80]としつても彼等かれらなぬ。 空氣くうきくわしてけむりのやうにけてしまふ。 飮料いんれうとしては何物なにものもちゐない。 にはたゞぽんゆびがあるばかり、しかこのゆびもちゐて我等われらが五うごかすよりも完全くわんぜん仕事しごとをする。 彼等かれらあたまみぎうでしたにある。 旅行りよかうをしたりあら仕事しごとをしたりするときは、あたまだけうちいてるのが通例つうれいである。 といふのは遠方ゑんぱうにゐても隨時ずゐじあたま相談さうだんすること出來できる、これ家常かじやう茶番ちやばんことである。 月人げつじんちう高貴かうき者共ものども平民へいみん社會しやくわい出來事できごとりたいとおもときには、うち引籠ひきこもつてゐて、あたまだけを派遣はけんする。 彼等かれらあたまひとにつかぬやうに、何處どこにでもことかなふから、充分じうぶん事情じじやう觀察くわんさつしてかへつてられる。

 [Pg 81]此國このくに葡萄玉ぶだうだま宛然さながらへうのやうである。 つき世界せかい大風おほかぜおこつて葡萄ぶだうつるふるひ、たまおとときには、拙生せつせい何時いつ大恐悦だいきやうえつ丁度ちやうど人間にんげん世界せかいへうるやうな光景くわうけいである。 ところ拙生せつせい拙生せつせい同意見どういけん諸君しよくんにおすゝいたすが、今度こんどへうつたときにはたくはへていて、月世界げつせかい葡萄酒ぶだうしゆつくつてたらからう。 重要じうえう見聞けんぶんはなおとした。 それ料理れうり動物どうぶつ我等われらふくろ使つかふやうにはら利用りようすることである。 なんでも必要ひつえうがあるとはらなか仕舞しまむ。 それといふのも胃袋ゐぶくろ同樣どうやう彼等かれら腹部ふくぶ開閉かいへい自在じざいなのである。 しかして彼等かれらあひだには内臓病ないざうびやうといふものがない。 また着物きものは一さいもちゐない。 丸裸まるはだかでゐるけれど、見苦みぐるしいところとては一箇所かしよ[Pg 82]ない。

 彼等かれらまなこ自由じいう自在じざい取外とりはづしが出來できる。 これさきけてもあたま同樣どうやうものこと出來できる。 なにかの過失まちがひうしなつたりそんじたりすると、他人たにんから借用しやくよう出來でき買入かひいれ出來でき自分じぶんことなところなく明瞭はつきりものこと出來できる。 ういふ次第しだいだから、つき世界せかいでは地方ちはうつても商人しやうにんいたつておほい。 そしてまたこの品物しなものかぎつて流行はやりがある。 或時あるとき黃眼くわうがん流行はやり、或時あるとき綠眼りよくがん流行はやる。

 以上いじやう見聞けんぶん諸君しよくんには耳新みゝあたらしいことしんずる。 しかしながら、しマンチヨーゼン加減かげんなちやらつぽこを言つてゐ[Pg 83]などうたがひおこひとがあるならば、拙生せつせいなんともはぬ、だゞ旅行りよかうして實地じつち踏査たふさをするがい。 百ぶんけんかずでかならずや拙生せつせい言葉ことば懸價かけねのないことわかるであらう。

法螺男爵旅土產


明治四十二年三月卅一日印刷    法螺男爵旅土產
明治四十二年四月五日發行      定價金貳拾五錢
            著作者  佐々木邦
  不 許       發行者  山縣文夫
                  東京府下北豐島郡巢鴨町
                  大字上駒込十九番地
  複 製       印刷者  藤本兼吉
                  東京市牛込區市ケ谷加賀町
                  一丁目十二番地
            印刷所  株式會社 秀英舎第一工場
                  東京市牛込區市ケ谷加賀町
                   一丁目十二番地
發行所 東京巢鴨郵便區上駒込山縣邸内    内外出版協会
    電話(長距離加入)下谷四百三十八番
              (振替貯金口座東京三百五十五番)

Transcriber's Notes(Page numbers are those of the original text)

誤植と思われる箇所は以下の通り訂正した。

原文 ねの(p.21)

訂正 つね

原文 とんじ(p.26)

訂正 とう

原文 小枝こえ新芽だめ(p.29)

訂正 小枝こえだ新芽しんめ

原文 惡戯をした(p. 45)

訂正 惡戯をした。

●文字・フォーマット・その他に関する補足

本文の前に「はしがき」が二頁にわたって書かれていたが、字がかすれて判読できず、割愛せざるをえなかった。

原文の爵の字は「嚼」から「口」をのぞいたもの。

また節の字は「卽」に竹冠。

p. 43 「拙生せつせいは或時地中海で……」の段落は一字字下げした。